10.与る者を遣わす、豊かな現実ー聖餐について

「神が問われる―私たちの対話的教義学講座」
2018.7.6 石居基夫・長倉崇宣

[目次]
10-1. 「もうひとつ」のサクラメント・聖餐
10-2. 「キリストの体と血」を受け取る道筋
10-3. 聖餐の奥義の絶大な価値
10-4. 信仰に招き入れる大切なプロセス
10-5. 砕かれて、潰されて、生かされて遣わされる



.
.

10-1. 「もうひとつ」のサクラメント・聖餐

サクラメント、具体的な「もの」と結びつく(洗礼:水、聖餐:パンとぶどう酒)
・・・私たち自身の状態に依るのでなく、「神の出来事の客観性」を伝える

私たちの信仰は、熱心な時もあればそうでない時もある
・・・「私たちの信仰」の頼り無さ
→「私たちの信仰」を蝕む

⇒救いはあなたの状況に依らない・・・救いの客観性
・・・「私たちの外に」



(約10分)聴取期限9/6…ページトップへ


.
.

10-2. 「キリストの体と血」を受け取る道筋

「最後の晩餐」(cf. 福音書、第一コリント)
→しかし、最初から同じようなかたちだったかというと、そうでもない
・・・聖餐として整えられていく
例、使徒言行録・・・パン裂き(=聖餐の原型)

最初期のキリスト者
土曜日夕方・・・律法について聴く(ユダヤ教の伝統を引きつぐ)
翌日曜日の朝・・・復活を祝う食事をも大事にする
→だんだんと「主日礼拝のかたち」に
・・・愛餐的な食事から、受洗者のみが特別に食する聖餐の定式化

複数の伝承・・・「洗礼を受けていない方も聖餐を」と読めてしまう記述もある
⇒しかし、「それが私たちの聖餐」なのか?
・・・聖餐とは何か?
→「キリストの体と血」を受け取る道筋



(約13分)聴取期限9/6…ページトップへ


.
.

10-3. 聖餐の奥義の絶大な価値

「パン裂き」に於ける、弟子たちの「ここにイエス様がともにおられる」という実感
例、エマオ途上での復活の主イエスとの出会い、最後の晩餐、過ぎ越しの食事、イエスとの食事、罪人たちとの食事、5000人の食事の奇跡・・・

→この食事を「これはわたしのからだ、血」という約束の中で受け取り、味わう
・・・この聖餐の奥義を語らないでいたらもったいない!
・・・勿体無くも教会に与えられ、守ってきたこの奥義
⇒「ふさわしくないままであってはいけない」


(約14分)聴取期限9/6…ページトップへ


.
.

10-4. 信仰に招き入れる大切なプロセス

ディダケー(『十二使徒の教え』)
・・・初代教会が聖餐を整えていく状況、聖餐に先立って為される罪告白
→信仰に招き入れていくプロセス
・・・現代の私たちにこれが出来ているか?
・・・整えられた「形」だけを取り入れるだけでいいのか?


(約7分)聴取期限9/6…ページトップへ


.
.

10-5. 砕かれて、潰されて、生かされて遣わされる

ルターの聖餐理解の強調点:
「神の恵みの賜物」の強調 ↔ 当時のカトリックの「キリストの犠牲」の強調
・・・キリストの犠牲は一回限り。しかし、「主の奉献の中で、キリストの枝としての『私たち』がささげられていく」ということなら、ルターも賛成した!

キリストが感謝してパンを裂いた
=『私たち』が感謝され、捧げられ、派遣され、用いられる
パン:小麦が集められて、すり潰されて、焼かれて出来る
ぶどう酒:収穫されて、絞られて出来る
・・・私たちは砕かれて、潰されて、そのようにして生かされて遣わされる
→信仰を持たない方のところへ


(約21分)聴取期限9/6…ページトップへ


参考文献:
・H.G.ペールマン『現代教義学総説 新版』、新教出版社
「XI 救いの手段について」(p.405〜433)

←前回のページへ