02.私の人生—何のために生きているのか

今回は「人は何のために生きるのか」。 キリスト教を知るためにも、いやそのためには「自分」そして「人」から考え始める。
すべての人にとって、まさに一生の一大事なのです!

 

目次
2-1.人のいのちは、持ち物にはよらない
2-2.人間が人間らしくなる
2-3.人間の罪
2-4.気晴らし
2-5.自分は何のために生きているのか


 

2-1.人のいのちは、持ち物にはよらない
人が生きているっていうことは、ある意味このたとえ話の金持ちと同じ。
人は小さな時から次々といろんなことを自分のために積み上げていこうとしていく。
読み書きから始めて、良い大学、良い就職口、
出世、貯蓄、そして安定した生活等々。それは必要なこと。
しかし必要なんだけれども、
「こんなことしてていいんだろうか」という不安が人にはある。
多分誰でも必要なことなんだけど、それだけではないということ。


番組を聞く(約12分)
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2-2.人間が人間らしくなる
今、いろいろなことが行き詰まって「バブル」という言葉が出てくる。
バブルだらけだったということに弾けた後に気付く。

「人のいのちは、持ち物にはよらない」
「持ち物」という泡の中で、
人は自分の存在自体がバブルのようなものになってしまってはいけない。

この私という人間。 この私は生きている中で子どもの頃からずっと「この私」。
これまでも、そしてこれからも。 そこで一番気にするのは他人。他人との関係。
しかし自分と関わるということをしないと人間が人間らしくなっていかない。


番組を聞く(約20分)
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2-3.人間の罪
この世の中でいろんな事があるけれども、人間が一番大切。
ところが実際にこの世の中の動きは経済の流通、
利潤追求とか人間性が押しつぶされるような事がいっぱい起こっている。
戦争もそう。 人間が一番大切だという意識だけでも、なかなか実現しない。
みんながそう思ってるのに。


番組を聞く(約6分)
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2-4.気晴らし
このような問題性を持った自分、そして人間。 それでは人間らしくなっていくということはどういうことなのか。
パスカルの『パンセ』に「気晴らし」について書いてある。

「賭事、婦人たちとの交際、戦争、顕職といったものが
こんなにも求められることになるのだ。
もちろん実際上ここに幸福があるからではない。
そうではなく私たちの考えをそらせ、
気を紛らせてくれるようなせわしなさを求めているのである。
人は獲物よりも狩猟のほうを好むという理由がここにある。
牢獄がこんなにも恐ろしい責め苦となったのも
そういうわけからなのだ。」

人はスケジュール表にいろんな用事を書く。 埋まってるほどなんか充実感がある。
しかし言ってみればそれら一つ一つはやぼ用みたいなもの。
結局ゼロを百万回足してもゼロ。


番組を聞く(約16分)
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2-5.自分は何のために生きているのか
人生というものは不可思議。 自分で決断しないで気がついたら生まれ、そのうちどんどん年をとっていく。
そして差し当たりできることをやる。
最も大切な、自分は何のために生きているのかということを悠長に考えてなんかいられないと。

学校に行くとか就職するとか資格を取るとか結婚、家を建てる…
自分がなんでここに生きているのかということの解決にはなにもなっていない。

生き甲斐がないと人は大抵生きていけない。 でもそれがその人の生きている目的かというと違う。
生き甲斐はすごく大切なんだけれども、生き甲斐がなくなることがある。
だから生き甲斐と生きる目的とはちょっと別。
山あり谷ありの人生でも一貫して磁石は同じ方向を向いている。

これについては問いを発することが一番大切。
そして答えは慌てて考えることはない。

イグナチオ・ロヨラの「原理と基礎」の最初の文章。

「人は、主である神を讃美し、敬い、これに仕え、それによって自分の助かりを全うするために造られたのである。」

なんだ、そんなもんかと思うかもしれないが、実はそれしかないと思う。


番組を聞く(約10分)
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生き甲斐と生きる目的というこの回のお話を聴いて、まっさきに思い出したのが、 クリスチャンである私の父が職場で同僚に次のように言われた話です。

「パチンコも酒も、タバコもやらない、生きてて何が楽しいんだお前は?」

これを聞いた時、(失礼ながら)私は思わず笑ってしまったのです。でもよく考えてみたら、私だって格闘技の試合を見て、スカッとします。だから、生き甲斐や憂さ晴らしはある意味とても大切だと思うんです。でも、やっぱりそこは岩島神父様。お話の最後の最後に「生きる目的」として、イグナチオ・ロヨラの言葉を使ってくるんですね。

「人は、主である神を讃美し、敬い、これに仕え、それによって自分の助けを全うするために造られたのである。」

正直、戸惑っちゃいました。

とてつもなくハイレベル、というか 教会でよく聴くような言葉だけれども、 あまりに急展開です。「信仰入門講座」なのに(笑)。でも、だからこそ、これが大切なんだっていう神父様の気持ちが伝わってきました。みなさんは、どうですか?