03.天地創造—神と世界と人間

キリスト教がこの世界をどう捉えているかというテーマ。 私たちはこの世界で<もの>と<ひと>と関わりの中で生きていますが、それだけなのか? 現代人にとって神話に過ぎないと言われる聖書の天地創造から、その中に秘められた創造信仰を考えます。

 

目次
3-1.創造信仰
3-2.<人>と<もの>を超えるもの
3-3.秩序の創造
3-4.生命の創造
3-5.人間の創造
3-6.神と人と世界


 

3-1.創造信仰
人間とは何か。 そして自分の人生の目的とは何か。
「天地の創造主を信じます」 キリスト教の信仰宣言の最初の言葉。
つまり私たちの根本的な問題は 〈神〉と〈世界〉と〈人間〉の三者関係にある。
聖書はこの創造信仰から語り始める。

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3-2.<人>と<もの>を超えるもの

「はじめに神は天と地とを創造された」 (創世記一章一節)

「はじめ」という言葉は「そもそもの根本」という意味。
私はなぜ生きているのか?
人は<自分>から考え始める。 聖書は<神>から始める。

「我々の一生は短く、労苦に満ちていて、人生の終わりには死に打ち勝つすべがない。…我々は偶然に生まれ、死ねば、まるで存在しなかったかのようになる。」  (知恵の書)
この世で家庭を作り、友人を何人も持ったとしても、自分の全てを受けとめてくれることはない。
死ぬ時は一人。その意味で生きてることは不条理。

しかし本当に、それだけなのか。


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3-3.秩序の創造

「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。」(二節)

「形なく、むなしく」というのはなんの秩序もなく無茶苦茶な状態。そこに「神の霊」が及ぶ。

最初の創造。

「『光あれ』と言われた。すると光があった。」(三節)光とやみとを分けられた。」(四節)

意味のない混沌に「神の言」により意味あるものとして光ができた。
この世界の創造の意味。 そして、神は光そのもの。

「神はまた言われた、『水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ』。」(六節)

古代では水は災い、死、混沌のしるし。
その死の世界に、「神の言」が及ぶ。

さらに

「『天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ』。そのようになった。神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。」(九、十節)

陸という生きる場が造られた。

このように神は混沌から「神の秩序」を置かれた。


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3-4.生命の創造

創造信仰の中あるオプティミズム… 「この世にあるものは基本的に良いものだ」という積極的な姿勢。

創造の第二段階が始まる。

「『地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ』。そのようになった。 …神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。 …神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。 …神はまた言われた、『地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ』。そのようになった。」(十一~二四節)

「はえさせよ」(十一節)

神の働きは間接化し、地が生み出す。 神の働きは「自然の秩序」として現される。
「種類にしたがって」 神が種を造られた。 それぞれに目的があり、特徴があり、神の秩序に置かれる。
繰り返される神の意志…「神は良しとされた。」


番組を聞く(約10分)
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3-5.人間の創造

「神はまた言われた、 『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう』。 神は自分のかたちに人を創造された。 すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 神は彼らを祝福して言われた、『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。』 …神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。」 (二六~三一節)

「われわれにかたどって」 人間。 「神の秩序」をわきまえる力があり、責任がある。
全ての世話を見る最終主体。 この人間存在によって、全被造物の意味が決まる。 神の決意、意志。

そして「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」 神の祝福。

「こうして天と地と、その万象とが完成した。 神は第七日にその作業を終えられた。 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。 神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。」 (二章一~三節)

第七日はもうひとつの区別。 大切な二つの関わり。
「この世界との関わり」と、そして「神との関わり」。
第七日目は意味深長である。


番組を聞く(約14分)
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3-6.神と人と世界

創造信仰は、神が天地も私たちの命も全て最終的に支えておられるということ。
神が全てを無から創造されたということは単に過去の出来事じゃなくて、
私の存在をいつも支えておられるということ。そして今も導いている。

ここに、大きな一つの信頼がある。
自分という存在が世界との関わりを通して神と関わる。 こういう三者関係。
これが創造であり、終末でもある。


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incl_img_03*「創造信仰というのは、単に過去の出来事ではなく、神は私の存在をいつも支え、導いておられるということです。」

この岩島神父様の言葉はあらためて「目から鱗」でした。クリスチャンの私には知っているつもりだった神様の「創造」。 でも、どこか遠い、昔話のようにしてとらえていた自分です。お話の中で、神父さまはこんなお話も… 「人間には神さまからの『存在命令』が与えられていて、託されている使命がある。」存在命令… ずいぶん固い言葉です。 自分には噛み砕くのにはもう少し時間がかかりそうです。

自分の存在。 そのことを良しとしてくださっている神様の思い。
自分が信じるから大丈夫!ではなくて、
神様ご自身の中に既に置かれているんですよね。
この大きな安心感に包まれていることを信じることが、今日もゆるされている。
やっぱりここにイエス樣の十字架を感じています。