05.信仰の父アブラハム―宗教心と宗教

今回のテーマは「宗教心と宗教」です。ちょっと取っつきにくい感じのテーマですが、実はとても身近なことだと神父様は仰います。「祈る心が宗教心だ」と。

しかし聖書はその先の物語を語ります。一人の信仰者アブラハムを通して。
キリスト教がなぜさらに歩みを進めることが大切だと考えるのかを
アブラハムの物語を通してご一緒に考えていきたいと思います。


 

目次
5-1.宗教心と宗教
5-2.神のもとへ帰る
5-3.神の前を歩む
5-4.アブラハム経験
5-5.再び、神と人とが結ばれる


 

5-1.宗教心と宗教

・創造、楽園そして失楽園
聖書は罪の広がり、人間の本来の姿からの逸脱を語る。
それでも神は様々に配慮と慈しみを続けていかれる。

人間はもう一度本来の姿に戻るべきである。これが信仰。
聖書はこの「帰り道」の最初にアブラハムを語る。

・宗教心と宗教
人は誰しも祈る心、つまり宗教心をもつ。
アブラハム、すべての人の父(アブ父+ラハム多くの人、すべての人)
宗教心に「筋」が通った時に、この地上の生が祝福される。
これがアブラハムの物語。

番組を聞く(約13分)

 

5-2. 神のもとへ帰る

「主はアブラムに言われた」(創世記12章1節)
神の語りかけ…神と一人の人間との交流が始まる。

『あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。』(12章1節)
神は彼に望まれた。彼がこれからどうなるか分からぬまま、それまで生きてきた環境と決別することを。

『わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。
あなたは祝福の基となるであろう。…地のすべてのやからは、あなたによって祝福される』(12章2~3節)
神は彼に約束された。神の祝福を。しかも全ての人の祝福を。
生きる喜び、
 自分への是認…

「アブラムはハランを出たとき75歳であった。」(12章4節)
75歳。「今更…」と思うだろう。
しかし、彼は見えないものへの道を歩み始める。神の約束のゆえに。
それは、いわば神に向かっての冒険。

番組を聞く(約12分)

 

5-3. 神の前を歩む

「アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた」(創世記17章1節)
アブラムは神の呼びかけに応えて生きていた。その歩みが固まってくる。
そして神との契約という点に達する。

『わたしは全能の神である。
あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。』(17章1節)
神と人との関係。
そして山上の説教のキリストの言葉と重なる完全性。
「あなたがたの天の父が完全であられるように、
あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイ福音書5章48節のイエスの言葉)

・「神」の前に歩む「私」
旧約聖書が語る「義」そして「平和」、
それは神と私との間に何のわだかまりもないこと。
ここに立てられる神の契約。
「あなたはわたしの民となり、わたしはあなたの神となる。」

しかし神の言葉は人の思いを超える。

番組を聞く聞く(約10分)

 

5-4. アブラハム経験

・イサク奉献…信仰者の試練そして危機

「神は言われた、
『あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい』」。(22章2節)
神は自らの約束と矛盾したことを命じる。
ここに、信仰者に必然的なものがある。全ての信仰者に。

信仰の本質はその他の全てを失い、犠牲にしてもそれを大切にすること。

「アブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、
主の使が天から彼を呼んで言った、
『アブラハムよ、アブラハムよ』。
彼は答えた、
『はい、ここにおります』。(22章10,11節)

アブラハムは神に命じられたことを最後までやり遂げた。
神の意思に最後まで従った。
そしてイサク奉献、父が子を犠牲にすることは本来の姿ではキリストの十字架で実現した。

「アブラハム経験」は信仰者の最も根にある体系。
自分の「アブラハム経験」を見いだす時、初めて人はその意味を知る。

番組を聞く(約16分)

 

5-5. 再び、神と人とが結ばれる

・宗教(レリジオ)
宗教(レリジオ)とは一度離れてたものが再び結び合わされること。
アブラハムの物語も再び結び合わされる人間の道程。

・アブラハムの生涯
優柔不断、ずるさ、嘘…
人間関係の歪みや葛藤。

その現実の中で何度も働きかけ現れる、神の愛と慈しみ。
そして恥を感じながらも従う姿。

人間の中にある汚れや小ささ。
その中に、神が語りかけられる正念場がある。
大切なのはそれを感じ取ること。

もう一度、楽園に戻ろうとする姿 —神と人とが再び結ばれる、レリジョン(宗教)。
これが人間の根の部分。
そして、イエスの教えの根本。

その時、大切なことはたった一つです。それは神とつながること。

番組を聞く(約15分)

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incl_img_03*誰もが「宗教心」を持ってるんだと言われて、本当かな?というのが第一印象です。確かに、受験でも、スポーツ観戦の場でも、明暗を分けるような場面では、誰彼ともなく自分の手を組んでいる姿がありますね。人間の力がもはや及ばないように思われるとき、やっぱり、そうせざるを得ない心をみんな持っているのかもしれません。
でも…岩島神父様は、それと「宗教」は異なると言われます。じゃあ、何が違うんだ?態度?熱意?量?また逆に「困った時の神頼み」はクリスチャンも同じじゃないの?と言われたら言葉に詰まってしまう自分もいます。
岩島神父さまは今回、「アブラハム経験」という言葉を用いられました。他のものをかなぐり捨ててでも、信仰を何より第一に優先するという姿。そして、そのハイライト、わが子イサクを生贄にささげようとしたあの出来事は、キリストの十字架によって実現されたと…どういう事なんだろうか。とにかく、安易な事ではありません。なにしろ命がかかっている。神の子の命が。「宗教」とは一旦離れたものが、再び結びつくことならば 、そこまでして再び実らせたかった、神さまと人との関わりとはなんだろうかって。
「宗教心」と「宗教」。ここにあるのは、全く大きな隔たりです。