06.旧約聖書の世界—神との交わりの歴史

今回のテーマは旧約聖書です。
なぜキリストを信じる者が(しかも21世紀の日本人が)ユダヤ教の正典を聖書とするのでしょうか。
キリスト者にとっても、そうでなくとも古代イスラエルの歴史書の側面もあるこの旧約聖書は馴染みがないというか、しっくり来ないのは誰しも感じるところです。

しかし実はこの旧約聖書をなしには私たちの信仰もないと言っても過言でないほど土台となっているのだと気付かされます。ちょっと今回は歴史の授業のようですが、神が導く歴史というスケール感いっぱいのお話です。


 

目次
6-1.イエス・キリストを知るために
6-2.神の導く歴史としての旧約聖書
6-3.神と民との「契約」
6-4.旧約聖書を貫く歴史観
6-5.民族の崩壊とメシア期待
6-6.ユダヤ教を越えて


 

6-1.イエス・キリストを知るために

・なぜ旧約聖書がキリスト教にとっても聖書なのか

聖書は旧約聖書と新約聖書からなる。
それぞれ古い契約と新しい契約の意味。

旧約聖書は、もともとユダヤ教の聖書。
そしてイエスは、「ユダヤ教徒」。

だから旧約聖書知る時、キリストが何をしようとしたか、
何を述べようとしたか、その背景が分かる。
旧約を読めば読むほど、新約の意味が分かる。

神との生きた交わりの中で紡ぎ出された言葉は
私たちの祈りの言葉となっている。

詩篇42篇
1
神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、
わが魂もあなたを慕いあえぐ。
2
わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。
いつ、わたしは行って神のみ顔を
見ることができるだろうか。
3
人々がひねもすわたしにむかって
「おまえの神はどこにいるのか」と言いつづける間は
わたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった。
4
わたしはかつて祭を守る多くの人と共に
群れをなして行き、喜びと感謝の歌をもって彼らを神の家に導いた。
今これらの事を思い起して、わが魂をそそぎ出すのである。
5
わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。
何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。
神を待ち望め。
わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。

番組を聞く(約7分)

 

6-2. 神の導く歴史としての旧約聖書

・なぜ旧約聖書がユダヤ教にとっても聖書なのか

旧約聖書
律法(モーゼ五書)
創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記…特別の格がある民族起源の書
歴史書
ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記、歴代誌、エズラ記、ネヘミヤ記
教訓・祈りの書
エステル記、ヨブ記、詩篇、箴言、伝道者の書、雅歌…
預言書
<大預言書>イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書…
<小預言書>十二小預言書…

長い間に書かれた様々なジャンルのものがある旧約聖書が「聖書」なのか。

〈神とその民との関わりの歴史である〉

旧約聖書の主語は「神」。
神の導く歴史としての統一性。

番組を聞く(約13分)

 

6-3. 神と民との「契約」

・出エジプト

ユダヤ民族の原点。(紀元前十三世紀頃)
ある奴隷階級のグループがモーセという人物によりエジプトを脱出するヒストリーから始まる。

「神の民」と「神」

神は言われた…
『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』
(出エジプト記3章6節)
あの祖先たちが心を通わせ、それに賭けた、あの神と同じ神。
この神は一つのアクションに出る。

わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、
また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。
(出エジプト記3章7節)
イスラエルの信仰の中核、「生ける神」

神の名を尋ねるモーセに神が答える。
「わたしは、有って有る者。」(出エジプト記3章14節)
この「有る」と非常に近い言葉が「ヤーウェ」。

・神と民との「契約」、神の民の誕生
シナイにおいて、この民はヤーウェという神と「契約」を結んだ。

もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、
わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。
(出エジプト記19章5節)

モーセはきて、主のすべての言葉と、すべてのおきてとを民に告げた。
民はみな同音に答えて言った、
『わたしたちは主の仰せられた言葉を皆、行います』。
そしてモーセは主の言葉を、ことごとく書きしるし…言った、
『見よ、これは主がこれらのすべての言葉に基いて、あなたがたと結ばれる契約の血である』。
(出エジプト記24章3~8節)

神とこの民とは切れない絆で結ばれた。
その絆の中心となるものは、主の言葉、つまり掟、十戒。

掟を守る限りにおいて、この神とこの民は結ばれている。
それゆえ、モーセ五書はイスラエル民族にとり聖書中の聖書。

番組を聞く聞く(約15分)

 

6-4. 旧約聖書を貫く歴史観

・モーセ五書の成立過程
「モーゼ五書」は、口伝えに伝承されて、
紀元前六世紀のバビロニア捕囚のころになり初めて五書が成立した。

ヨシヤの宗教改革
バビロニア捕囚前夜。
王はその律法の書の言葉を聞くと、その衣を裂いた。(列王記下22章2節)

ヨシヤが神殿修復の際に神殿から誰にも知られていなかった律法の書を発見した。
そして多くの聖書学者は、これは申命記だと考えている。
それはなぜか。

モーセ五書の最後の書、申命記。

・申命記的な神学・歴史観
〈神の前にこの民族はいつも罪を犯し、神から離れていく。そういうことをずっと続けている罪の歴史である〉

・モーセ五書と、それに続く書物の編集の背景にあるもの
様々な伝承が、最終的には申命記的な筋に則って編集された。
そしてモーゼ五書だけでなく、(旧約聖書)全体に〈申命記的な歴史観〉というものを当てはめて最終編集しているのではないか。

番組を聞く(約16分)

 

6-5. 民族の崩壊とメシア期待

・イスラエル民族の原点
出エジプトから約束の地へ入るまで40年。
この神と結びつくことだけがこの民の存立理由。

・イスラエルの王制
強い危機感のゆえに紀元前千年頃、統一の王を立てる。
サウル、ダビデ、ソロモン

しかし、ここに一悶着が…

イスラエル民族はヤーウェのみが自分たちの王であり
、地上の王を立てることは許されないという、非常に強い意識があった。
現実的な対処として王を立てたが、そこに現れるのが「預言者」
アンチテーゼとしての預言者。

・王制の終焉と大国による支配
ソロモンの後、ダビデ王朝は南北に分裂。
北はアッシリアに滅ぼされ、南は新バビロニアによる滅亡と捕囚。
全てを失ったこの捕囚期に唯一出来たこと、それは神の言葉、つまり律法を読み、祈ることだけだった。
この時期に「モーセ五書」が成立し、王制が終焉する。

バビロニア捕囚から解放したのはペルシャ王キュロス。
その後ペルシャの属国となり、アレキサンダー大王が出て、
プトレマイオス朝エジプト、シリア、そしてローマ帝国の支配と常に他国の支配下にあった。

・高まるメシア待望
やがて神の意志を実現し、神の救いをもたらす王がやってくる。
それはダビデの末から来る、と。
イザヤのあたりから終末思想のが出てきて、その後ローマの圧迫は強くなっていった。

番組を聞く(約15分)

 

6-6. ユダヤ教を越えて

・イエスとその時代背景
イエスは古代イスラエル末期に生まれ、彼独自の行動を始めた。

神の民とヤーウェの神は、〈罪の歴史〉にも拘わらず、
その関わりを深めていく。もっとパーソナルな関係へ。
同時に、律法主義的になり、動脈硬化を起こしたようになる。
古代イスラエルももう滅びるような、煮詰まった時期

そこに登場し行動した、イエス。
イエスというと、律法を否定して新たな宗教を提示したように言われる。
しかし、硬直したユダヤ教の中で、
ある種の宗教改革を起こした人とまず考えれば、アプローチしやすい。

ただし、ユダヤ教の枠にはイエス・キリストの宗教は留まらなかった。
ユダヤ教の殻を破るようにして世界宗教が生まれた。

番組を聞く(約15分)

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incl_img_03*無宗教の友人から、「聖書って2種類あるんだね。と言われた事があります。「新約の歴史は旧約から続いているんだから必要なんだ」そんな何とも歯切れの悪い答えしか返せませんでした。旧約と新約が一緒なのは当たり前だと思っていたからです。だから、今回のお話を聴いていて思わされたのは、教会は旧約を新約と合わせてどうして「ひとつの聖書」としたのだろうかということです。だって旧約ってドロドロして、しかも法律や規定あり、歌あり、歴史ありで、形もごちゃごちゃしていますから。旧約聖書は何でこんな悲惨な話を記録しつづけたんだろう。
神父さまは「旧約聖書は、神と民との関わり、という史観で紡がれた歴史」であると言われます。なぜイエスさまを信じる新約の教会がこれを全て受け継いだんでしょうか。戒めや反省のため?それとも新約をもり立てるため?いや、それだけでは無いと神父さまのお話を聞いて思うのです。聖書は自分自身を写す鏡だと聞いたことがあります。であれば、旧約聖書も新約聖書と同じ…神と民の関わり。そして、私とイエスさまの関わり。
この辺りに旧約聖書の本当の大切さがあるように思いました。