08.神の国の福音―神様の人類への計画


 

目次
8-1.「神の国」―イエスの宣教のキャッチフレーズ
8-2. 救いの出来事と祝宴
8-3. イエスと神の国
8-4. イエスの福音の新しさ
8-5. 信仰が求められる神の国


 

8-1.「神の国」―イエスの宣教のキャッチフレーズ

イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、

「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」
マルコ1:14-15

・神の福音
イエスは神からの特別な使命を十字架に至る生涯の中で貫徹された
…福音書の物語

a)時は満ちた
…終末の到来
神の国は近づいた。
…もう目の前まで手の届くところに神の国は来た
b)悔い改めて福音を信ぜよ。
…人間の応答を求める

・神の国
国(ギリシャ語:バシレイア)=王国
「王」の支配、「王」という言葉が大切…神は真の王
〈イエスの時代にはメシアによる神権政治への期待が高まっていた〉
→イエスの教えの中核

イエスの行動
弟子を集める、人々に教える(教え)・人々を癒す(働き)、祈る

番組を聞く(約12分)

 

8-2. 救いの出来事と祝宴

・神の国に関する教え
福音…喜びの訪れ、救いのメッセージ

a)神の国の意味

「主のめぐみの年」ルカ4:19

…ヨベルの年(50年に一度、全ての借金がゼロになり、奴隷は解放される年)
〈あらゆる者への解放、自由〉

「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」
ルカ4:21

…イエスの言葉を聴いた人のところに、救いは到達した。
その他、「私が来たのは裁くためではない…」など

b)宴会のたとえ…腹一杯飲み食いし、幸せになるイメージ
大宴会のたとえ(ルカ14:15-24)
旧約以来待ち望まれてきた神の国がすでに来ている。

しかし

「招かれた人たちの中で、
わたしの食事を味わう者は一人もいない。」
ルカ14:24

番組を聞く(約13分)

 

8-3. イエスと神の国

・〈イエスの存在〉と神の国

「するとイエスは言われた、
『婚礼の客は、花婿が一緒にいるのに、断食ができるであろうか。
花婿と一緒にいる間は、断食はできない。』」
マルコ2:19、「断食論争」

婚礼:神の国のイメージ…断食がそぐわない
花婿なるイエス:イエスがいる限り婚宴が成り立つ
∴ 〈イエスの存在〉と〈神の国〉は不可分

・〈イエスのアクション〉と神の国

「しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、
神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。」
マタイ12:28

単なるメッセージを越える
…サタンの力は押さえ込まれ、神の力が勝利する[神の支配の実現]
∴ 〈イエスのアクション〉と〈神の国〉は不可分

・「主の祈り」にみる〈私たちの信仰〉と神の国
「御国が来ますように
”あなたの支配がここまで来ますように”
…少なくともそう祈る人の心に、神の支配は及ぶ
→〈私たちの信仰〉と〈神の国〉

・神の支配
愛による支配:人に決定的な影響を与え、強い絆を結ぶ
→人に自由を与え、呼びかけるもの

番組を聞く聞く(約12分)

 

8-4. イエスの福音の新しさ

・従来の発想や期待を打ち壊すイエスの〈神の国〉

「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、
神は、自分を愛する者たちのために備えられた」
1コリント2:9

「だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。
もしそうすれば、ぶどう酒は皮袋をはり裂き、
そして、ぶどう酒も皮袋もむだになってしまう。
だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。」
マルコ2:22

→イエスの福音は、既存のイメージ
(cf. メシアによる神権政治、終末期待)では受け止められない

・隠れた〈神の国〉

「イエスは答えて言われた、
『神の国は、見られるかたちで来るものではない。
また「見よ、ここにある」「あそこにある」などとも言えない。
神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。』」
ルカ17:20-21

…この御言葉の意味は、聖書学者さえよく分からない。
いずれにせよ全く〈新しい〉

「天の国(神の国)は、一粒のからし種のようなものである。
ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、
成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、
空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる。」
マタイ13:31-32

…神の国は、〈小さく〉〈目立たない〉

∴ 神の国は、一見目立たず頼りない。
けれども、根本において大きく変わる〈新しい〉もの。

しかし

「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。」
マタイ22:29

番組を聞く(約16分)

 

8-5. 信仰が求められる神の国

「悔い改めて、福音を信じなさい」
マルコ1:15

…イエスは福音を説く時、いつも信仰を求める

「神の国は、畑に隠してある宝のようなものである。
人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、
行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買う。」
マタイ13:44

…今までとは比べ物にならないような、一番大切なものを見いだした時の反応

∴ 自分の心組み・生活の枠組み・価値観を全部改め直す[回心]
神の国の福音に触れた者は、
真っ向からそれに向き合っていかなければならない。

〈何を中心にして、一番大切なものと思って生きているか?〉

番組を聞く(約10分)

 

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incl_img_03*「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にした時、実現した」(ルカ4:21)
イエス様が「神の国」はもう実現したのだと語ったこの言葉。
でも、2000年経った今、相変わらず、社会にも自分の周りにも自分自身にも、不正や悪ははびこっているし、戦争や争い事ばかり続いている…

神父様は、神の国は「小さくて、目に見えにくい」ものだと言います。
ちょっと待って!それって言い訳じゃない?
神様が何もできないから、信じても特にご利益があるわけじゃないから、それでも信者が離れないように、予防線を張っているだけじゃない?
私はかつて信仰を持つ前にはそう思っていたし、今でも物事がうまくいかなくなると、そう思ってしまうことがあります。

今回の講座で神父様は、こうもおっしゃいました。
神の国は、ほんとうは常に私たちのただ中にあるのだけど、「信仰」によってしか、受け入れることができない、と。
他にも、神の国の特徴として言われていたことを挙げてみると…

・旧約聖書全体が待ち望んでいたことの成就
・イエスがそこにおられ、それを宣言する時、少なくともその人の心にまでは到達している
・神の愛による支配である。

つまり…どういうこと???
どうも、自分なりの言葉というものにできません。
ひと通り聞いて話はわかったような気がするけど、人に説明できないんです。
実は、イエス様と問答をしていた律法学者たちや一緒にいた弟子たちですら、よくわからなかったようです。
わからないなりに、そうでありながら、それは私がイメージしていた「神の国」とは、紛れもなく違った!と思うんです。

「神の国」と言われると、聖書を読んだことがなかったころから、なんとなくイメージするところがあるように思うんです。
例えば、“極楽”とか“天国”。
みんながニコニコして平和で明るく生きている。少なくとも、信じている私自身は、心が痛いような経験は通らずに済む。常に満足して生きていられる、みたいな。何度も聖書を読んでいるはずなんだけど、そのままのイメージを持ち続けていた。

そうすると、自分がイメージする神の国は、聖書が言っていることより、もっとスケールの小さいものだったんだと思うんです。
でも、信仰生活の中で、私自身にも確かに経験がある。現実には八方ふさがりなのに、不思議と感じる平安。
上手く言えないんですけど、現実のしんどさに振り回されることから解放されるってことかな?
そしてその”解放”って、「神の国」がここに来てる、私のところにイエス様ご自身がおられるってことなんじゃないかって、思いました。