09.奇跡―自然から超自然へ


 

目次
9-1. イエスの奇跡
9-2. 治癒奇跡
9-3. 癒し:神の国の到来
9-4. 信仰による救い
9-5. 自然奇跡
9-6. 現代における奇跡


 

9-1. イエスの奇跡

・聖書に見るイエスの姿の特徴

使徒行伝 10:38
神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。
このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、
また悪魔に押えつけられている人々を
ことごとくいやしながら、巡回されました。

よい働き・悪霊からの解放・各地を巡回

・福音書の語る「奇跡」の意味
人を驚かせ、注目されることではなく、
「癒し(神の力による人間の解放)」

番組を聞く(約8分)

 

9-2. 治癒奇跡

・当時の社会状況
社会経済的搾取を背景とする病気や
障害による差別+宗教的差別(二重の差別)
→多くの社会の枠組みから外れてしまった人たち=罪人

イエスはこのような人たちと関わった
→癒し、治癒が持つ意味合いは大きい

・イエスの癒し

マルコ1:41
深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、
『そうしてあげよう、きよくなれ』と言われた。

深くあわれみ:スプランクニゾマイ(スプランクナー「内蔵」の動詞形)
手を伸ばして彼にさわり:汚れた者に触れ、イエス自ら罪を犯す
「きよくなれ」: 病気の癒し以上により広いコンテキストの中でその人間が回復される

・「悪魔憑き」宗教的差別
社会的差別と宗教的差別のダブルパンチ
…罪人はサタン、悪霊、
汚れた霊の支配下にあると考えられていた
(古代ユダヤの世界観)
→これは古代の迷信にすぎないのか?

番組を聞く(約16分)

 

9-3. 癒し:神の国の到来

・イエスの癒し
神の国の到来の現れ:サタンの支配から神の支配へ

→聖書:ベルゼブル論争(マタイ12:22-30)

マタイ12:28
しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、
神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。

イエスの働き:神の国を来らすため
そこでの癒し:不思議なことや人を説得するようなことというより、
神の命や恵みが働いている現れ

∴人間が神によって病気だけでなく「存在」として癒される

番組を聞く聞く(約11分)

 

9-4. 信仰による救い

・治癒奇跡の結び
「あなたの信仰があなたを救った」
…神の力が受け入れられる必要がある

・信仰の必然性

マルコ9:22-23
できますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」。
イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。
信ずる者には、どんな事でもできる」。

マルコ10:26-27
「それでは、だれが救われることができるのだろう」。
イエスは彼らを見つめて言われた、
「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。

→神の力を本気で受け止めないなら、何の影響力もない。

・「あなたの信仰があなたを救った」
→神の力が働くことを、あなたは可能にした
∴「信仰による救い」

番組を聞く(約7分)

 

9-5. 自然奇跡

・自然奇跡(自然法則を超える奇跡)
…そこに共通するもの:平和
→ キリストと信仰者の間に起こってくる恵みの力は、
世界観や環境をも変えてしまうということ

∴ゆえに信仰が求められる
パンを五千人に食べさせる自然奇跡

マルコ6:34-37
イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、
飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、
いろいろと教えはじめられた。

ところが、はや時もおそくなったので、
弟子たちはイエスのもとにきて言った、
「…めいめいで何か食べる物を買いに、まわりの部落や村々へ行かせてください」。
イエスは答えて言われた、
「あなたがたの手で食物をやりなさい」。

パン:イエスがもたらしたありあまる恵み

あなたがたの手で食物をやりなさい

a)人の手を通して
b)イエスと弟子たち(=信仰者)の間で

マルコ6:37-42
弟子たちは言った、
「わたしたちが二百デナリものパンを買ってきて、みんなに食べさせるのですか」。

するとイエスは言われた。「パンは幾つあるか。見てきなさい」。
彼らは確かめてきて、「五つあります。それに魚が二ひき」と言った。

…イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、
天を仰いでそれを祝福し、パンをさき、
弟子たちにわたして配らせ…みんなの者は食べて満腹した。

イエスがガリラヤでなされたことはこうである(イエスの宣教の総括として)
「みんなの者は食べて満腹した」
→信仰のうちに神の力が働き、癒しが起こり、自分たちが恵まれた

番組を聞く(約16分)

 

9-6. 現代における奇跡

・例)マザー・テレサ
修道院に入って、インドの良いところの
お嬢さんの学校の先生をやっていた人。
だけどある時、自分はこれでいいんだろうかと思った。
それで終生請願を立てていたにも関わらず飛び出して、
もう死ぬ人の世話をやり始めた。

「自由」
…奇跡=神の力の働き

・運命論
イエスの時代:人間が悪霊に縛られている
現代的には「運命論」:「どうせしょうがない」「自分はこんなもの」
…ある種の金縛り状態

・「私」にとって「奇跡」とは?
もし信仰によって神の恵みを受け止めるならば、癒され、奇跡が起こる。

番組を聞く(約6分)

 

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*岩島神父様はイエス様の奇跡を、
「奇跡」という言葉で片付けるのはちょっと言葉足らずですね、
と「キリストとそれを信じる者の信仰の間に起こってくる、
大きな恵みの力」と言い換えられました。何だかわかったような、わからないような…。

本当に「信じる者の信仰」なんて関係あるんでしょうか?
だって、大きな恵みの力が、信じる前から働いているんじゃないでしょうか。
たとえば、パンと魚を数千人に分け与えられた、あの大奇跡。
弟子に信仰があったから起きたというわけではない。まして数千人の人々にもない。
何が起こるともわからず、ただ後ろからウロウロついてきただけ。

自分自身を振り返ると、奇跡が起こると信じているから、というよりも、
奇跡はもう起きていた、と知らされたから信じていました。

ある百人隊長は主イエスに、あなたの信仰が部下を救ったと褒められました。
私は、もし彼の信仰がもっと情けないものだったとしても、
彼はその出会いの中で、既に救われていたんじゃないかって思うんですよね。
その人が優秀だとか、信心深いとかそんなこと関係ないと思うんです。

だって私のような人間も、パンと魚を食べさせてもらってた。
ウロウロついて行っただけなのに!不思議だし、嬉しいことです。

「キリストとそれを信じる者の信仰の間に起こってくる、大きな恵みの力」
私は、神と人とを結びつけてくださる力そのものが、奇跡なんだと思います。
そして、主へのこんな小さな思いを認めてくださる懐の深さも。

だからこそ、私も今、クリスチャンとして生かされています。
人間の信仰、やっぱり関係大有りですね。