11.イエスの教え2―信じることは愛すること

キリスト教は「人の行いで救われるのではない」と言いながら、
片や「よい行いをせよ」と説きます。
ここにキリスト教の真髄があるのでしょう。

神を愛し、人を愛する…

人間関係のゴタゴタ、ズタズタで希望を見失いそうな私たちに、
この一大事を岩島神父は主イエスの教えから紐解きます。


 

目次
11-1. イエスの教えの二つの焦点
11-2. 神に真っ向から向かい合う
11-3. いつでも根拠となる神に向かう
11-4. 常識を覆す神
11-5. 人は何のために生きるのか
11-6. イエスの教えの根本


 

11-1. イエスの教えの二つの焦点

・イエスの教え
1「神は〇〇である」
2「だからあなたも〇〇でありなさい」
→神の教えだけでなく、人に対する第二の実践的な教えがある

マタイ18章

23-27節
天国(神の国)は王が僕たちと決算をするようなものだ。決算が始まると、
一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。
しかし、返せなかったので、…この僕はひれ伏して哀願した、
「どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから」。
僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。

28-33節
その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、
彼をつかまえ、首をしめて「借金を返せ」と言った。
そこでこの仲間はひれ伏し、「どうか待ってくれ。返すから」と言って頼んだ。
しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。
…そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、
「悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。
わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか」。

イエスの教えの二つの面
→神の限りなき慈しみと赦し。それを受け止める者の人への許し…この二つは同時的
→神の国の実現

番組を聞く(約14分)

 

11-2. 神に真っ向から向かい合う

聖書の中にある「信じなさい」
…神様の働きかけを真っ向から自分が受けとめる

「山上の説教」(マタイ5~7章)
全体テーマ
「あなたがたは地の塩…世の光である。」(マタイ5:13-14)

あなたがた…群衆(貧しい人、悲しむ人、柔和な人、義に飢え渇く人…)

「世の光になりなさい」ではなく「もうあなた方は世の光である」と。

イエスの福音を聴いた者は、他の人が持っていないものを持っている

「あなたがたの光を人々の前に輝かし、
そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、
天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
…根本は神様

番組を聞く(約13分)

 

11-3. いつでも根拠となる神に向かう

よいおこない…何が正しいことか?

マタイ5:20
わたしは言っておく。あなたがたの義が
律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、
決して天国(神の国)に、はいることはできない。

・律法学者やパリサイ人の義
→細かい掟や規定…それさえ守っていれば、
あとは何をしてもいいのか?
・あなたがたの義
→「父である神の御心から見る時、この掟は何か?」

イエスの教えも行動も非常に一貫して、
いつでもその根拠として父である神に向かう

番組を聞く(約13分)

 

11-4. 常識を覆す神

マタイ5:45
天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、
正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。


まったく新しい神

よいおこない…あなたがたはその「子となるため」にということ

マタイ5:46-47
あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、
なんの報いがあろうか。
兄弟だけにあいさつをしたからとて、
なんのすぐれた事をしているだろうか。

マタイ5:48
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
あなたがたも完全な者となりなさい。


実現可能か否かの問題ではない
天の父のいつくしみを知る者としての生き方の問題

番組を聞く(約10分)

 

11-5. 人は何のために生きるのか

潔癖なまでの富・物からの離脱…イエスの教えの特徴

マタイ6:24
だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛し、
あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。
あなたがたは神と富とに兼ね仕えることはできない。


人間はどこかにへばりついていないと落ち着かない。
だけど、神様はつかめない。

マタイ6:25-26
だから、あなたがたに言っておく。
何を食べようか、何を飲もうかと、
自分の命のことで思いわずらい、
何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。
命は食物にまさり、
からだは着物にまさるではないか。
空の鳥を見るがよい。まくことも、
刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。
それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。
あなたがたは彼らよりも、
はるかにすぐれた者ではないか。


ここで天の父にまた根拠が行く。
神様の前であなた方一人一人は
どれほど大切に思われているかということより
衣食住を先立てるというのはおかしい。


「人はパンのみにて生きず」
この世のパンで生きている人間は、ある意味ちゃんと生きていない。
一番大切なものを失っている。

番組を聞く(約10分)

 

11-6. イエスの教えの根本

・神に対する態度

マタイ7:7-8
求めよ、捜せ、門を叩け

マタイ7:12
だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのようにせよ。

〈神様にひたすらに向かえ=人をとことん大切にせよ〉…キリスト教の精神

番組を聞く(約4分)

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*「あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」(マタイ5:45)

実は、私自身、この言葉をきっかけに神様を信じるようになりました。
悪人にも善人にも。正しい者にも正しくない者にも。
つまり、誰にでも全ての人に恵みが与えられている、と。

太陽が昇ること、雨が降ること。
それは当たり前のように思っていることだけど、
神様が私のためにしてくださっていることだったのですね。
でも、正直それを実感し続けることは難しくて、
この世の富とか、目に見える人との交わりとか、
ついついそういうものに頼ったり、
それが全てだと思ってしまったりするんです。

「神を大切にすることは、人を大切にすること」
というのが、今回のキーワードでした。

実は、私はある人に、
「人ではなく、神を大切にしてください」
と言われたことがあるのです。
神様を他の何よりも優先したい!
と一生懸命になればなるほど、
聖書の言葉をたくさん知らないといけないとか、
祈り深くありたいとか、
何か他の人とは違う者にならなければならないように
思ってしまうことがあるんです。
そうじゃないんですよね。
分かってるつもりなんですけど・・・。

マタイ5:44にはこう書かれています。
「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」

聖書に出会う前の私は、
信仰を持っている人を愚か者だと思っている、
文字通りの神様の敵でしたけれど、
でも本当は、この仕事をしている今でさえも、
本質的には何も変わっていないなと思います。

マタイ5:45に出てくる「天の父の子」という言葉。
その天の父の子であるイエス様は、
敵である私を愛し、十字架にかかり、
そして、復活して今この瞬間も私のために祈り続けてくださっている。

そのとてつもなく暖かな愛、憐れみ、慈しみを受けて、
「あなたもそういう者になりなさい」と、
こんな私を呼びつづけておられる。

今回のお話から、私は、
このマタイ5:45の御言葉を新しく受け取らせていただきました。