17.過越しの神秘―死と復活の奥義

神の子、イエスの死と復活。ここに私たちの救いの根拠がある。
そうキリスト教は主張します。常識ではありえないこの宣言を、
教会はなぜ曲げることなく大切にしてきたのでしょうか。
まさに「神秘」であるこの出来事、
キリスト教の奥義を、聴きましょう。共に、祈りながら。


 

目次
17-1. 救いの最も根本的な事柄
17-2. 復活者との出会い―キリスト教のビッグバン
17-3. 悟りの深まり
17-4. 言葉を越えた出会い
17-5. 復活者が明らかにする受難の意味
17-6. 日常の復活秘義


 

17-1. 救いの最も根本的な事柄

キリストの受難と死、キリストの復活…一つのこと
=過ぎ越しの神秘

cf. マタイ16:25
「自分の命を保とうとするものは
それを失い、それを捨てる者は見出す」

これを自ら再体験し、神の命を刻みつける
…聖書そのものが語っていること

番組を聞く(約5分)

 

17-2. 復活者との出会い―キリスト教のビッグバン

イエスと出会ったという紛れもない事実

a. 私たちが実存的に受ける影響:出会いの主観面
b. イエス自身に起こっている事柄:出会いの客観面

・出会いの主観面:
イエスと出会った者が変えられていく

ガラテヤ1:16
「御子をわたしの内に啓示して下さった」
「この方は誰か?」ということへの悟り
…「主は復活した」「主は甦った」

・出会いの客観面:
通常、「高挙」と呼ばれる事柄

ピリピ2:6~9
「キリストは、神のかたちであられたが、
神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、
かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、
人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、
おのれを低くして、死に至るまで、
しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
それゆえに、神は彼を高く引き上げ、
すべての名にまさる名を彼に賜わった。」
「主は生きておられる」
「イエスは神と共におられる」

「復活の中身」…「出会い」はすべてここにある
=ビッグバン
…宇宙の始まり、何もないところにあった
凄いエネルギーの塊、その広がり
…キリスト教宣教の一番の根

番組を聞く(約15分)

 

17-3. 「悟りの深まり」

マタイ28:17
「イエスに会って拝した。」
…「イエスは主である」ことの強調
↓↑
「しかし、疑う者もいた。」

出会い、それは信仰の出来事

エペソ1:3~5
「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。
神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、
わたしたちを祝福し、みまえにきよく傷のない者となるようにと、
天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、
わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、
御旨のよしとするところに従い、
愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。」

コロサイ1:16
「万物は、天にあるものも地にあるものも、
見えるものも見えないものも、
位も主権も、支配も権威も、
みな御子にあって造られたからである。
これらいっさいのものは、御子によって造られ、
御子のために造られたのである。」

神の救いの計画の大きさ、その目的
…復活者との出会い

番組を聞く(約17分)

 

17-4. 言葉を越えた出会い

他に類比の無い体験…復活者との出会い

人間の言葉・考え方で表しきれない
…「死者たちからの復活」

「キリストとの出会いという現実」の巨大さ

番組を聞く(約10分)

 

17-5. 復活者が明らかにする受難の意味

「キリストが復活した」…弟子達の出発点

イエス・キリストとは一体何か?御言葉はどう語っているか?
…キリストの受難・十字架と旧約聖書

復活から十字架を見る

ルカ24:25~27
「そこでイエスが言われた、
『ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いた
すべての事を信じられない者たちよ。
キリストは必ず、これらの苦難を受けて、
その栄光に入るはずではなかったのか』。
こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、
聖書全体にわたり、ご自身について
しるしてある事どもを、説きあかされた。」
…イエス自身の十字架の解釈

「苦難を受けて、その栄光に入るはず」
…神の計画、神の意思

cf. ルカ22:19~20
「これはあなたがたのために渡される、わたしのからだである」
「これはあなたがたのために流される、新しい契約の血である」
…イエスの確信


第一コリント15:1~5
「兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、
あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、
思い起してもらいたい。もしあなたがたが、
いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの
言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。
わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、
わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、
聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、
そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、
三日目によみがえったこと、ケパに現れ、
次に、十二人に現れたことである。」
…これが、福音の中心

番組を聞く(約14分)

 

17-6. 日常の復活秘義

マタイ28:20
「見よ、わたしは世の終りまで、
いつもあなたがたと共にいるのである。」
…このキリストにどこまでも自分を合わせていく
=クリスチャン


復活経験が原点になければ信仰自体がありえない

自分自身の復活を信じる
…自分の日常で起こるイエスの死と甦り、奥義
=福音の愛の掟

番組を聞く(約4分)

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*聖書を読んだり、讃美をしていると、
不意打ちを喰らったように泣けてきて泣けてきて、
やっぱり主イエスは生きているんだと思わされる事があります。

しかし、変な話ですけれど、私の中では
どうしてそこまで心動かされたのかという理由は
あまりわかっていない事が多いのです。
実際、頭では、こんなに泣いてさすがにちょっとなあ(笑)
と自分で引いているぐらいですからね。

むしろ、後からジワジワ判ってくる事ばかりなのです。
ああ、これがなぐさめだったのだな、と
罪の傷跡に後から気付かされたり、
これが励ましだったのかと、
振り返って、祈りの内にできるかぎり感謝をします。

今回、「復活」のお話を聴いて、
弟子たちはこの言葉に到底まとめきれないみ業を、
それでもどうにか表そうとしたのだという事に触れました。

何だか聴いていて、嬉しくなりました。
ああ、そういう事なのか、
少し私の中で腑に落ちたところがあったのです。

弟子たちといえども、再び主に出会って
何が何だかわからないけれども
最初は、やっぱり嬉しくて喜び泣いたのではないかって。
そして、気づいたら、もうここにしか立つ事が出来ないのだ、
という確信が先に与えられてしまったのではないかって。
どうしても、この思いを人に伝えざるを得なくなってしまったんじゃないか。
そう感じたのです。

復活を信じるって、やっぱり主イエスと出会う事なんだ、
そう強く思わされてしまいました。