18.『神の子』キリスト―新約聖書の信仰


 

目次
18-1. 聖書—信仰体験からの書物
18-2. 神の子、イエス
18-3. 終末、再臨、マラナ・タ
18-4. なぜ福音書が書かれたか
18-5. キリスト教信仰の基準


 

18-1. 聖書—信仰体験からの書物

一つの起点
…イエスとの出会い ex. 使徒行伝二章、ヨハネ福音書二十章

現実的な確信
…罪の赦し、新しい使命、イエスは生きておられる

もう一度動き出す弟子達


この「起点」からの光
…イエスの生涯と教え、十字架の意味

新約聖書、教会の誕生

番組を聞く(約13分)

 

18-2. 神の子、イエス

・マルコ福音書

マルコ1:1
「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」
マルコ15:39
「『まことに、この人は神の子であった』」

・マタイ、ルカ福音書の「幼年物語」

マタイ1:18~23
「イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。
母マリヤはヨセフと婚約していたが、
まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。
夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、
ひそかに離縁しようと決心した。
彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、
「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。
その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。
その名をイエスと名づけなさい。
彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。
すべてこれらのことが起ったのは、
主が預言者によって言われたことの成就するためである。
すなわち、「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。
これは、「神われらと共にいます」という意味である。」

・ヨハネ福音書

ヨハネ1:18
「神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、
神をあらわしたのである。」

「神の子」が遣わされたという信仰
…出発点

番組を聞く(約12分)

 

18-3. 終末、再臨、マラナ・タ

イエスとの出会いを体験した人々
…その出会いを「復活」と呼んだ

復活と黙示思想との結びつき


「世の終わりは近い」

番組を聞く(約14分)

 

18-4. なぜ福音書が書かれたか

メシア(ヘブライ語)=キリスト(ギリシャ語)=神から遣わされた者
…「とてつもない要求」を含んでいる

ローマ1:2-4
「この福音は、神が、預言者たちにより、
聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、
御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、
聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。
これがわたしたちの主イエス・キリストである。」

人間の視点 … ダビデの子孫から生まれたからメシア
神の視点  … 「御力をもって神の御子と定められた。」


イエスは「メシア」を凌駕する神の子

神と同じようにイエスを礼拝

「では、私たちが礼拝しているイエスとは、どういう方か?」
…あの地上のイエスを思い起こさせる

イエスの言葉・行い、十字架と復活…。
=福音書というジャンル

番組を聞く(約24分)

 

18-5. キリスト教信仰の基準

歴史的事実≠信仰
…出来事をどういう風に理解してきたか

「神の言葉」としての聖書
…聖書にその最初から投影されている信仰

本当の神の言葉
…イエス・キリスト
…キリスト教信仰の基準

番組を聞く(約2分)

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incl_img_03「祀り上げてるけど、地上にいたあのイエスこそ、あの神の子なんだぞ、ということをちゃんともう一遍思い起こさせようとするのがいわば福音書。」

岩島神父から緻密に新約聖書の成り立ちが語られ、
そういうことだったのか!と素直に驚きがありました。
福音書の方がパウロの書簡などよりも
時代的には後に書かれたという事は、
知識としては知っていましたけれど、
信仰的にはこのような動機があったのですね。

なにより、神父さまの「祀り上げる」という言葉遣いが面白いと感じました。
はじめは、別に神さまなんだから、祀ったって
何も間違ってはいないのでは??と思いました。
しかし、天地を支配する偉大な神さまだけれども、
それ以上に、私の、あなたの為の神さまなんですよ。
という呼びかけがそこにはあるような気がします。

聖書の知恵に学ぶとよく言います。
そこに記された教えに従いたいと私は願っています。
しかし、やっぱりそれを超えて、聖書には
主イエス・キリストがどんな方であったか、
私に何をしてくださったのか。
という事が刻まれている書なのだと改めて知りました。

私を愛してくださっているのは、どんなお方なのか。
それを決して見失わないために記された書。
今度はもっと新しい心で読めそうです。