19.教会の誕生―使徒たちの使命


 

目次
19-1. 教会を信じます—クレド
19-2. イエスは教会を建てたのか
19-3. 教会誕生の「根」
19-4. 教会の歴史の始まり—エルサレムという出発点


 

19-1. 教会を信じます—クレド

信仰宣言(クレド):
「教会を信じます」=〈教会が信じていること〉を信じます

教会…歴史を通じたいのちの交わり、
イエスの復活を証言しつづける共同体

人間ひとりの発想・哲学を越えるもの

番組を聞く(約7分)

 

19-2. イエスは教会を建てたのか

神の国の宣教…イエスは本当に教会を建てたのか?

・「十二人」の制定

マルコ3:13-15
「さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、
彼らはみもとにきた。そこで十二人をお立てになった。
彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、
また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。」

ルカ6:12-13
「このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。
夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、
その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。」

1コリント15:5
「ケパに現れ、次に、十二人に現れた」

イエスは自らの福音に則った新しい集団を作ろうとした

「新しい」神の民(神の民=イスラエル十二部族)

マタイ16:17-19
「すると、イエスは彼にむかって言われた、
「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。
あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、
天にいますわたしの父である。
そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。
そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。
陰府の力もそれに打ち勝つことはない。
わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。
そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、
あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。」

ヨハネ21:15-17
「彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、
「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、
わたしを愛するか」。ペテロは言った、
「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、
あなたがご存じです」。
イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。
またもう一度彼に言われた、
「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。
彼はイエスに言った、
「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。
イエスは彼に言われた、
「わたしの羊を飼いなさい」。
イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。
ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、
心をいためてイエスに言った、
「主よ、あなたはすべてをご存じです。
わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。
イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。」

ルカ22:29-32
「それで、わたしの父が国の支配をわたしにゆだねてくださったように、
わたしもそれをあなたがたにゆだね、
わたしの国で食卓について飲み食いをさせ、
また位に座してイスラエルの十二の部族をさばかせるであろう。
シモン、シモン、見よ、
サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。
しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、
あなたのために祈った。それで、
あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

「十二人」の持つ独特の意味

・最後の晩餐
ルカ22:19-20
「またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、
「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。
わたしを記念するため、このように行いなさい」。
食事ののち、杯も同じ様にして言われた、
「この杯は、あなたがたのために流す
わたしの血で立てられる新しい契約である。」
…「わたしの記念として」「あなたがたのために」

新しい契約:
イエスの受難と死によって立てられるもの
(cf. 古い契約:モーセ)

新しい神の民の中心:
「十二人」
(cf. 古い契約:イスラエル十二部族)

番組を聞く(約36分)

 

19-3. 教会誕生の「根」

「イエスは我々と共におられる」、「イエスは神と共におられる」
=復活の主との出会い、復活経験、十二弟子への出現
…罪の赦しの体験、新しい使命を受ける体験

弟子たちの派遣、「使徒」の誕生

教会の誕生

番組を聞く(約9分)

 

19-4. 教会の歴史の始まり—エルサレムという出発点

使徒1:10-12
「イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、
見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて言った、
「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。
あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、
天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、
またおいでになるであろう」。
それから彼らは、オリブという山を下ってエルサレムに帰った。
この山はエルサレムに近く、安息日に許されている距離のところにある。」

イエスの昇天と弟子たちのめざめ

使徒1:21-26
「そういうわけで、主イエスがわたしたちの間にゆききされた期間中、
すなわち、ヨハネのバプテスマの時から始まって、
わたしたちを離れて天に上げられた日に至るまで、
始終わたしたちと行動を共にした人たちのうち、
だれかひとりが、わたしたちに加わって主の復活の証人にならねばならない」。
そこで一同は、バルサバと呼ばれ、またの名をユストというヨセフと、
マッテヤとのふたりを立て、祈って言った、
「すべての人の心をご存じである主よ。
このふたりのうちのどちらを選んで、
ユダがこの使徒の職務から落ちて、
自分の行くべきところへ行った
そのあとを継がせなさいますか、お示し下さい」。
それから、ふたりのためにくじを引いたところ、
マッテヤに当ったので、
この人が十一人の使徒たちに加えられることになった。」

「十二人」の補完

使徒2:1-4
「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、
一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、
ひとりびとりの上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、
御霊が語らせるままに、
いろいろの他国の言葉で語り出した。」

(ユダヤ教からの)約束の成就としてのメシア…出発点

番組を聞く(約13分)

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incl_img_03岩島神父様は今回のお話で、
「教会を信じます」ということは、
「教会が信じていることを信じます」という意味なのだ、と仰います。

教会“が”信じる??
それって何だか違和感のある表現、じゃないですか?
「教会にいる人が信じていること」という表現なら、まだ受け入れられるのですが・・・。

「普遍の教会」、「公同の教会」とか言いますが・・・
「信じる対象」として教会を考えようとした時に、
堅苦しくて難しい教えだったり、教理だったり、
何か自分から遠いものをイメージしてしまうんですよね。

でも神父様は、
「教会とは神の民と同義なのだ」と。

今までも聞いてきたことかもしれないけれど、
これって、実はすごいことが言われているのかもしれない。

こんなに弱くて何もできない自分も、
教会=神様のからだの一部分とされている、ってことですよね?

考えてみれば、教会って、
いろんな人が集まってきて、
一緒に礼拝をしたり、何かに向かっていくときに、
やっぱり、「自分たちなりの神様との歩み」というものが形作られていく気がする。

信じるとか、神に従うとか、
自分自身のこととしてばかり考えてしまいがちだけど、
本当はもっともっと広がりのあるものなんじゃないか・・・。

そう考えると、
「教会を信じる」ってワクワクしてくるような気がするんです。