22.「信仰宣言―何を信じるか、どう生きるか」


 

目次
22-1. 信仰の始まりの言葉
22-2. 人間の最も根本的な力
22-3. イエス—「私は信じます」の根拠
22-4. 聖霊—今この私を生かす神
22-5. 私たちに蒔かれている福音の種


 

22-1. 信仰の始まりの言葉

「信仰宣言」(=「使徒信条」)
…ラテン語では「クレド」
=「信じる」という動詞の一人称単数形

「自主的に私が信じる」

冒頭の言葉:「天地の創造主、全能の父である神を信じます。」
=信じるとは何か、何をどう信じるか

番組を聞く(約16分)

 

人間の最も根本的な力

・楽園と失楽園(創世記2・3章)
神から身を隠し、しかし神が気になる人間

現代の私たちもまた、失楽園にいる

・「神を信じる」「神を信じない」の選択なのか
人の心に必ずある「憧れ」、それを全否定できるか

「この世が全て」とは開き直りではないのか

・もう一度、「信じる」とは
理解、証明、知識…なのか???

「信じるということは証明できない。信じるということは人間の根本的な力。」
例、愛すること

理性を越えた、本当に心が向かう希望

番組を聞く(約21分)

 

22-3. イエス—「私は信じます」の根拠

キリスト教の信仰
…具体的な人物であるイエスへの信頼
=中心点であり、そして躓き

キリスト教信仰は観念ではない

マタイ28:20
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」

ヨハネ14:6
「わたしは道であり、真理であり、命である、
だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」

…キリストと共に生きている感覚の中で生まれる信仰告白

単なる教理の体系ではない

番組を聞く(約11分)

 

22-4. 聖霊—今この私を生かす神

ローマ8:2、23

「なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、
罪と死との法則からあなたを解放したからである。
…それだけでなく、御霊の最初の実をもっているわたしたち自身も、
心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、
すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。」

…パウロの実感からの言葉
=「聖霊の恵みは、今現在のこの私を生かす!」

この信仰を保ち、生き、実践してきた教会の生きた流れに触れてみる

番組を聞く(約12分)

 

22-5. 私たちに蒔かれている福音の種

イエスが蒔いた福音の命の流れ
…福音とは種のようなもの

日本においての信仰の土着化、めばえ
…価値観の大きくゆらぐ時代の中での、信仰という大きな恵み

生き方と信仰とが一つであるように

聞く(約3分)

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信じるという事は人間の根本的な力であるけれども、
その「宗教心」は、キリスト教の信仰と
そのままイコールでは無いことが岩島神父により語られていました。
そして、キリスト教を信じるとは、そこから、
イエスという方に完全に身を預けることであると。

神父様も少し触れられていますが、昔から気になっていたフレーズがありました。
「宗教とは登山のようなもので、ゴールはみんな一緒。
導き手が、イエスだろうがムハンマドだろうが、ブッダだろうが、誰だっていいんだ!」

なんとなく正しそうな事を言っている気がします。
こちらのほうが、きっと誰も傷つけないだろうし、平和な感じがあります。

けれども、やっぱり引っかかるんです。
キリスト者の生き方が、イエスを信頼する生き方なら、
イエス以外によそ見をする事って変じゃないかって。
信頼ってそういう事だよねって。

なぜ引っかかるのか、自分でも判然としていなかったのですが、
今回のお話から、その中身がようやく見えてきました。

このイエスというお方は生きている、ここにいらっしゃる。
だからこそ、私にもそんな感情が湧き上がってきたんですね。

他の何かじゃない。
ただ、私はこの主イエスと一緒に山を登り続けたい。
そう思わされています。