28.「キリスト者の生き方2―運命と試練」


目次
28-1. 本当の生き方―不条理経験
28-2. 素面で生きる―キリスト者の生き方
28-3. 病気―生きる深みへ
28-4. 老齢―「そこを生きなさい」
28-5. 死―じぶんのなすべき最重要事項


28-1. 本当の生き方―不条理経験

人が自分の「芯」で大切に思っていること
=本当のこと

「不条理経験」に触れる
・・・切実な人生の課題への気づき

信仰、救いを求めて…


(約13分)

28-2. 素面で生きる―キリスト者の生き方

神様を信じる
=この世の現実を直視して生きる
×現実に目をつぶる、ごまかす

キリストの十字架
・・・これを目印としていくキリスト者の生き方とは?

一ペテロ5:8
「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを求めて歩き回っている。」
=素面で生きろ

様々なものに「酔う」人間
例、自分の理想、夢、名声、仕事…

・・・しかし・・・
「敵である悪魔が、食い尽くすべきものを求めて歩き回っている。」

現実に目を開け
・・・ここからしか、キリスト教は始まらない


(約17分)

28-3. 病気―生きる深みへ

病気という現実

「なぜ?どうして?」

・・・答えなどない。
→自力で最後まで頑張りとおす、あきらめる

キリスト者の生き方
=正面から受け止める

新しい経験、生きる深みへ。

カトリック教会の秘跡の一つ「病者の塗油」
『この聖なる塗油により、慈しみ深い主キリストが聖霊の恵みであなたを助け、罪から解放してあなたを救い、起き上がらせてくださいますように。』

「あなたを救い、起き上がらせてくださいますように。」
・・・ヤコブ書5:15より


(約14分)

28-4. 老齢―「そこを生きなさい」

「年取ると何の楽しみもない、人に迷惑かけるばかりだ。死んだ方がましだ…。」

・・・これは正しいか?楽しい・人の役に立つ、だから生きている意味があるのか?

「何もできない生、そこを生きなさい」・・・キリスト教的老齢観
・・・とてもハードなこと

ピークを過ぎた生の先にある老齢期
・・・それまでの自分が顧みなかったことを完成させる時

喪失と共に、神の前での実りの時


(約11分)

28-5. 死―じぶんのなすべき最重要事項

きちんと死ねるか=人生の最重要課題
キリストの最大の使命=死ぬこと

ヨハネ12:27-28
「今わたしは心が騒いでいる。わたしはなんと言おうか。父よ、この時からわたしをお救い下さい。
しかし、わたしはこのために、この時に至ったのです。父よ、み名があがめられますように。」
・・・このキリストに信頼し、キリストと同じもの(不条理や死)を受け止める

ルカ9:23
「日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」


(約8分)

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よくテレビで高齢者の介護の特集を観ていたりすると、
八十代の祖母から「私はポックリ死にたいね」
「病気になったらつまらないね」
というような事を聞くんです。「絶対に私の延命はしないで頂戴」とも。
それは自分のプライドだけではなくて、きっと家族や周囲への思いでもあるんですよね。
実際に寝たきりになってしまった姉妹を長らく見てきたからこその言葉で、
死ぬ時は「潔く死にたい」、そんな心から来ているのだと思います。

でも今回神父様が語るのは、
それとは真逆の「死に向かい合いましょう」「死を見つめましょう」という事。
なぜなら、私達が信じている、十字架のキリストというのは、
「我が神、我が神、何故わたしを捨てたのですか」と叫びながら、
不条理に潰されて死んでいった方であるから。とおっしゃるのです。

確かに、病気になってしまって、
歩けもせず、自分のことすらわからなくなってしまう。
自分が自分で無くなっていく。そんな事は想像するだけでも恐ろしいです。
祖母が言う「病気になったらつまらないね」とは、本当にもっともだと思う。
でも、実はそれが決して「つまらない」ものではないのだよと、
この主がその身を以って示して下さった…。

むしろ、自分の手から自分が離れていくときだからこそ、
主の前に見苦しくとも「潔く」死ぬことも出来るのでしょうか。
それこそが信頼であり、信仰というものなのかもしれないと思わされます。

「自分の十字架を背負う」という事は、どういう事なのか。
なぜ、そこへと皆が招かれているのか。各々が苦しみを味わうのか。
生きているうちには答えの与えられない問いなのかもしれませんが、
改めてそのことを考えさせられています。

(新人N)