2.「心の貧しい人々は、幸いである」―聖書が語る幸福

イエスの、ことばの、その根―雨宮神父の福音書講座第2回2018.5.11(雨宮慧・長倉崇宣)

2 「心の貧しい人々は、幸いである」―聖書が語る幸福
マタイ5:3〜10、他

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1,「貧しさ」とは何か―聖書の奥行き、イエスのまなざし


(約15分)

2,「天の国」の謎―マタイによる福音書5章3〜10節の構造分析


(約15分)

3,人間が考える「幸い」の限界―創世記の原初史、アブラハム物語から


(約22分)

4,イエスを見るー人間の常識を飛び越える唯一の道


(約5分)

聴取期限7/12

 

聖書を読み解く

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ポイント
●精神性・心の問題として理解しがちな「心の貧しい者は幸い」。しかし、イエスがこの言葉に込めた意味を、マタイ福音書は「物乞いをしなければならないような貧しい者は幸い」「絶望的に貧しい者は幸い」と受け取った。
●「囲い込み」の間に置かれた「神的受動形」。この文章構造が示すのは、「天の国」での神と人との関係性。神に徹底的に依存せずには、人間は生きていけない。
●「絶望的に貧しく、徹底的に頼らざるを得ない者は幸い」。という人間的な理解では受け入れ難い主イエスの語る「天の国」を、聖書がどのように伝えようとしているのかが、この箇所の理解の鍵となる。

 

聖書の語る「幸い」とは?


旧約聖書の「幸い」は、現代の私たちと同じ。常識的な「幸い」。

しかし、新約聖書は異なる。
「貧しい」「悲しむ」・・・非常識な「幸い」。

「そういうお前こそが、幸いなのだ!」
・・・イエスはそう宣言される。

何故、そう言えるのか?


「貧しく」「悲しみ」の中で、「柔和に耐え」られた。
「憐れみ深く」「心が清く」「平和を実現した」。

・・・それは、一体誰か?

「心の貧しい者は幸い」

・・・そう語ったのは、イエス。


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