3 「十字架を背負ってわたしに従いなさい」
ーキリスト者の条件
ルカ14:25〜33、他
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1,「退け、私の後ろに、サタンよ」
ーマタイによる福音書16章21〜26節から
(約16分)
2,自分の理想を捨て、神の思いを背負う
ールカによる福音書14章25〜33節
(約25分)
3,「わたしの軛」を負う中で知る安らぎ
―マタイによる福音書11章25〜30節
(約8分)
4,何故、聖書は夢を捨てさせるのか
―キリスト教的リアリズム
(約9分)
聴取期限8/9
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●「十字架を背負う」。一般的に「苦労する」「忍耐する」という意味でも理解されることがあるこの言葉は、しかし、聖書では全く違う視点で語られている。
●ペトロの信仰告白の場面で、マタイがマルコを参照しつつ付け加えた「サタン、引き下がれ」。この原語(退け、私の後ろに、サタンよ)は、信仰者一人ひとりが神との関係でどこに立つべきかを示している。
●ルカ14:25〜33で、憎み捨てるべきものとして描かれる「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹」。人が憎しみを抱くのは、相手への期待が裏切られた時。つまりここで憎み捨てるべきなのは、私たちが勝手に思い描く相手への期待。
●何故聖書は、人間に期待や夢を捨てさせるのか。その理解が「十字架を背負う」を受け止める上で決定的に重要になる。
●聖書は、どうして私たちの夢を捨てさせる?
●人生を冷静に見つめる聖書・・・捨てるべき夢であるならば、早く捨てるべき。
●聖書は、人に「甘い夢」を見させない?
●イエスのことば
「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」(マタイ11:25)
エリートではなく、幼子のような者
「すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。 」(マタイ11:27)
「幼子のような者」のみが、父を知る。
人生には、人間の知恵ではどうにもならないことがある
・・・神の存在を認めない限り。