5.「あなたがたは地の塩、世の光である」―私たちの光源とは何か

5「あなたがたは地の塩、世の光である」―私たちの光源とは何か
マタイ5:13〜16、他

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0,導入
―今回学ぶ3つのポイントについて


(約7分)

1,「地」と「天」
―人間は何と関わり、生きているか


(約8分)

2,「地の塩・世の光である」とは
―光はどこから来るのか


(約28分)

3,人々のための宣教・自分のための宣教


(約14分)

聴取期限10/11

聖書を読み解く

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ポイント
●「地の塩、世の光」という有名な聖書箇所が今回のテーマ。「クリスチャンとしての『べき論』」「道徳的指針」として受け取られがちなこの箇所。地を這いつくばりながら生きている私たちにとっての、この言葉の意味とは。
●「あなたがたは世の光である」と言われた時、その光はどこから来るのか。マタイ福音書4章12-17節と、その並行箇所であるマルコ福音書1章14-15節の比較・分析を通して、福音書記者たちが何に光を見出したのかを探る。
●上記の比較から、マタイはマルコ福音書1章14-15節の間を割いて、マタイ福音書4章13-17節を加えたことが推測される。その意図はどこにあるかを雨宮神父は説く。
●マタイ5:16「あなたがたの光を人々の前で輝かしなさい」。この原文の主語は、「光」(「あなたがたの光が、人々の前で輝け」)。

 


「光」という言葉で、どんなことをイメージするだろうか?

「光に憧れる」のと同時に、
「白日の下に晒される」ことへの恐れ・・・。


確かに、イエスは光であり、我々の罪を明らかにする。
しかし、イエスは赦す御方。
であれば、罪を隠すよりも、イエスにさらけ出した方がずっと良い。

光源であるイエスから、光を受けていると分かっていても、
その小ささにばかり目が向いてしまう・・・。


「あなたがたの光を、人々の前に輝かしなさい。」
この原文は、「あなたがたの光が、人々の前で輝け。」
イエスの光は、あなた方の中で輝こうとしている。
それをどうして隠そうとするのか・・・。


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