6「兄弟に『ばか』と言う者は」―人を解き放つイエスのアンチテーゼ
マタイ5:21〜26、他
***
1,イエスによる、掟の新しい解釈
―マタイによる福音書5章21〜26節から
(約16分)
2,人が自分の落ち度を認める時
―マタイによる福音書5章22節、23〜24節、25〜26節の展開から
(約16分)
3,イエスの死と復活の意味
―コリントの信徒への手紙一 15章1〜5節から
(約14分)
4,和解のイニシアチブ
―コリントの信徒への手紙二 5章17〜21節から
(約12分)
聴取期限11/8
↑画像クリックで拡大表示します
●今回の箇所は、「あなたがたも聞いている通り・・・しかし、私は言っておく」というフレーズが繰り返される、その第一の箇所。テーゼとして掲げられる律法、それに対して新しく打ち出されるイエスのアンチテーゼの「新しさ」はどこにあるのか。
●人との関わりと衝突は、生きる上では避けられない。そこに、本当の許しはあるのか。マタイ5:22〜26の「主語」に着目し、イエスのアンチテーゼの真意を探る。
●神からの赦しの確信は、常に揺らぐ。1コリント15:1〜5のギリシャ語の「動詞」に注目し、パウロ自身が受けとってきた福音の中核を問いなおす。
●「和解のために奉仕する任務」。この重い務めは、何に支えられているのか?
●「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。」
これは、「キリストの中に誰かがあれば、新しく創造された者」の意。
●「キリストの中にある」とは・・・?
●恐らくは、「キリストと深い関わりの中にある」ということ。
そして、「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ」とパウロは語る。
●神と私たちの和解とは・・・?
●これは、通常の和解ではない。
悪いことをした方から謝罪し、和解の第一を始める。
しかし、ここでは神がイニシアチブをとっている。
イエス・キリストは、神が世と和解しようとして語りかけた、「和解の言葉」なのだ・・・。