11.「人の子は、失われたものを捜して救うために来た」―自分の「欠け」とどう向き合うか

11「人の子は、失われたものを捜して救うために来た」―自分の「欠け」とどう向き合うか
ルカ19:1〜10、他

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1,「心地よい小ささ」を知る者
―「人の子」とは誰か その1


(約17分)

2,イエスにふさわしい称号
―「人の子」とは誰か その2


(約13分)

3,探す者同士が出会う「今日」
―ルカ福音書のザアカイ物語から


(約18分)

4,自分の「欠け」を何に向けるか
―マタイ21:28〜32から


(約13分)

聴取期限4/11

聖書を読み解く

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ポイント

  • 今回の雨宮神父様のお話の中心は、ルカ福音書のザアカイ物語。この物語を読み解く鍵は、10節「人の子」。旧新約にわたって、この「人の子」とは何かを探り、ザアカイ物語を一層深く読み解く。
  • 旧約聖書において「人の子」は、複数の理解が絡み合って、新約につながっている。つまり、新約での「人の子」は、旧約での複層的な理解がベースになっている。
  • 「人の子」イエスが、徴税人ザアカイと出会う。この出会いとは、どういう出会いだったのか。ルカならではの表現から、そこにある神の真意を探る。
  • イエスに対して対称的な反応をするザアカイと律法学者たち。この対称性の根とは何か。もう一つの対称的な姿であるマタイ21:28〜32から、イエスの心を探る。

ザアカイは立ち上がって、主に言った。
「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
(ルカ19:8)

私は、これを最初に読んだ時に、「あんなことを言ってしまった…」と後悔しないだろうか、と思いました。

その時は嬉しくて思わず言ってしまった…というか。

はい。でも、私はやはり違うなと思いました。

これは、「救われていること」を感じ取っている人だからこその言葉なのです。
人は、本当に救われた時には、このように喜びを表現するのではないでしょうか。

「財産の半分を施す」と言ったから、ザアカイは救われたのではない。
救いの到来は、「財産の半分を施す」という彼の言葉によって表されているのです。

「証しの言葉」なのですね。